大阪事変
おはよう。
今日も月が綺麗だね。
自分の支配する国で、自分の好きなように創り上げた城で、自分の愛する人しか立ち入れない海賊船で生活しているお姫様が
大阪に行った話。
やはり、異国の地というものは最悪だった。
まず、道がわからない。
私、方向音痴なもんで。
次に、ご飯が口に合わない。
わかる。お好み焼きも、たこ焼きも、串カツも美味しいっていうのはわかる。
でも、そもそもフランス料理が好きな私には完全に口に、、というわけではなく体に合わない。
そして最後に、私の国の住民は、自国の居心地が良過ぎた結果、この異国の地での不安による私への依存が物凄かった。
ホテルから三歩出るにも私がいないとできない。
ご飯も私の前でしか食べれない。
どこへ行くにも隣に私がいないといけない。
そうだった。そういう教育をしてしまったのかもしれない。私の国では愛を唱えている。
愛ゆえの依存なのだ。仕方がない。
それでも私は愛している恋人がいるのだから、いつまでも構っている暇はない。
恋人とて私の国の民なのだから。
そうして、私の友人と、恋人の、私をめぐっての争いが起きてしまった。
これが俗に言う大阪事変。
この事変は一日半に及んだ。
私より恋人を優先する裏切り者だと私を叱る友人。
謝りながらも私を独占し続ける彼氏。。。
何年もかけて創り上げた愛の城が崩れかけた。
自分で創り上げた愛に潰されそうになったのだ。
人間に裏切られるのは慣れている。
これっぽっちも傷つかない。
しかし、愛で生きてる私が、愛に裏切られたら、もう生きる意味がなくなる。
何故こんなことがおきたのか
私の友人であるということは、無条件に私の味方でなければならない。
私も無条件で彼女達の味方であるからだ。
どんなに彼女達が悪い事をしたって、正論では裁かない。 私が選んだ友なのだから。
しかしながら。
私の友は私の味方に付かなかった。
だからこそ、私の味方に付かなかった、寧ろ敵に回ろうとしたということは、それこそが裏切り行為なのだ。人間的裏切り行為ではなく、愛を裏切ったということだ。
愛を唱える私の国ではそれは許される罪ではない。
結局。私の国の住民である以上、追放はしなかったが、やはり愛への裏切り行為は許される罪ではなく、今まで築き上げてきた友情という愛の形はすこし歪み、冷たくなった事には違いない。
愛は消えないけれど、愛が冷めることはある。
これが私の中のシビアな現実だ。
無念。
そして彼への愛は深まりましたとさ。
メデタシメデタシ。